不慮の事故で愛犬を失う
前回ブログを更新してから1年。昨年の6月20日に、新しく迎えた愛犬と旅を楽しんでいる記事、翌21日はバイクが納車され浮かれている記事をアップしたが、その後、ブログを書けなくなってしまった。
実は、昨年の記事を書いたその日に愛犬が突然死んだ。もうすぐ1歳という若さで。
死因は不慮の事故。1年たっても気持ちの整理がつかないので詳細は語りたくない。
正直いって、なんであんなことが起こったのか今でも信じられないが、事故は事故。全責任は飼い主にある。死なせてしまったのは100%飼い主が悪い。私と妻がもっと気をつけていればあんなことにはならなかった。
事故のあと、夫婦二人で繰り返し繰り返し愛犬の亡骸に謝り続けた。悔やんでも悔やんでも、心の底からどんなに謝っても彼は帰ってこない。夜も眠れず後悔と自責の念に押しつぶされそうだった。
終わらない悲しみ、自責の念
いくらかの時を経ても突然の若すぎる死を受け止めるのは容易ではなかった。
特に妻は打ちひしがれていて「うちに来なければ長生きできたはずなのに。なんでうちに来てしまったの。なんで私たちが飼ってしまったの…」と自分を責め続け涙を止めない。
不可抗力に近いとはいえ、自分達の不注意が彼の命を奪ったことに間違いはなく、この悲しみを乗り越えるのはとても困難に思えた。落ち込む妻が心配だった。
そこで、拒絶されることを承知の上で妻に提案した。「また新しい犬を迎えたい」
立ち直るにはパートナーが必要
愛犬を事故で失って間もないのに新しい仔を迎えるなんて、不謹慎だと誹りを受けるかもしれない。事実、妻も「死んだラスティに申し訳ない。私たちは今後、犬を飼うことは許されない」と言った。
妻の気持ちはよく分かった。逆に自分が「新しい仔を迎えよう」といわれたら、同じように返答したに違いない。新しい犬を飼うということは、死んでしまったラスティを記憶から忘れ去ろうとすることに違いないのだから。
それでも私は時間を空けて同じ提案をした。不慮の事故という誰のせいにもできない事実にふたりの心は圧し潰されそうだった。自分勝手といわれるかもしれないが、深い悲しみから妻が立ち直るにはそれしかないと思った。
「犬を迎えたとしてもラスティを忘れることは絶対にないし、ラスティもきっと許してくれる」と説得し、妻をペットショップに連れ出した。
しばらくしてラスティにも増して黄金色の眉がかわいいブラック&タンのミニチュアダックスフンドに出会った。
彼はいま、無事1歳の誕生日を迎え我が家で元気に走り回っている。
ラスティの一周忌。悲しみが消えることはない
先日はラスティの一周忌だった。二人して亡くなった犬達が安置されいる納骨堂を訪れ、ラスティに謝った。1年たっても胸の中の鈍く重い痛みは消えることはない。
これからもずっと自分たちは彼に謝り続ける。そして短かったけど楽しかった思い出に感謝し、元気いっぱいキラキラ輝いていた姿を反芻する。呵責に耐えながら。
たぶんこの痛みは決して思い出に変わったりはしない。死ぬまで胸を締め続けるだろう。
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