乗り物好きが封印した思い出
ゾウ、イルカ、ロバ、馬、ラクダ…
自称乗り物好きの私は、気の向くまま旅に出かけては様々なものに乗ってきた。
大学生時代には索道に目覚め、全国スキー場のリフトに乗りまくったりもした。
最近は飛行機・船が興味の中心だけど、突然、江の島エスカーに乗りたいという衝動に駆られたり、無性に神奈中バスが見たくなったり。
実際「のりもの」に乗ることが旅の目的となることも多い。このあいだ行ったポルトガルも、実は坂の街のケーブルカーやエレベーターがお目当てだったりする。
そんな乗り物ヘンタイの私が、心の奥底に閉じ込めてしまった乗り物がある…
「老い」に直面 ~すべての始まりは妻の誕生日~
我が妻は2つ年上の姉さん女房。この6月に50歳になった。
祝うのか慰めるのか分からない微妙な記念日をきっかけに、自分のことについてもいろいろ考えた。
あと2年で自分も50歳。人生の折り返し点は過ぎた。あとは老いを重ねていくだけ。
「老化による衰え」なんていうこれまで他人事だった言葉の意味をしみじみ噛みしめていくのだろう。
妻の誕生日、こうした分かってはいるけど受け止めきれない事実と向き合わされた。そして、自分の中でジリジリとした焦燥感のような感情が湧きあがってきた。
息を止め歯をくいしばり懸命に腕を伸ばすけど、欲しい物に手が届かない。そんな感じ。
人生半ばを過ぎ、これから先はやりたくてもできないことが増えてくる。
チャレンジしたいこと、経験してみたいことは山ほどあるけど、錆びていく脳ミソと軋む体は、そうした欲求のいくつかを「いつか見た夢」に変換してしまうに違いない。
若き日の酸っぱい思い出 ~ヤマハ RZ250~
高校2年生のときにヤマハのRZ250というバイクを買った。
当時は折しもバイクブーム。「バリバリ伝説」や「あいつとララバイ」なんてバイク漫画が流行っていた。
田舎の馬鹿で生意気な高校生は、みんなバイクに強い憧れを持っていた。
定置網に迷い込む鮭、ゴキブリホイホイに吸い寄せられるチャバネゴキブリ。16歳になったら免許を取らずにはいられない、やんちゃな若造を捕まえて離さない魅力がバイクにはあった。
そんな時代のなか、馬鹿に輪をかけたエリートバカのボクは、バイトで貯めた中免(中型限定自動二輪免許)取得資金で、中古のRZ250を買っちまった。
当たり前だけど、バイクの代金を払ったら教習所に行く金はない。コソコソと無免許でバイクに跨っていた。
RZ250は今はみられない2ストロークのパワフルなバイク。ピーキーだけどガツンと鋭い加速にシビレる。楽しくてしょうがなかった。
でも、そんな不法な許されざる状況が長く続くわけはなく、数か月後にはRZ250は売却してしまった。
当時のことを振り返ると、なんて馬鹿げたことをしていたのかと、未熟で無責任な自分に怒りと恐怖を感じる。
無免許運転なんて絶対してはいけないこと。でも、いろいろあったんだよね。当時は。「盗んだバイクで走り出す…」そんな感じかな。
やっぱり自分はバイクに乗ってみたい
RZ250の売却後もしばらくは原付を乗り回していたけど、大学に入ると海外を放浪することに熱をあげ、いつの間にかバイクのことは忘れてしまった。
むしろ、社会人になってからは「バイクは危険な乗り物」なんてステレオタイプな考えを持つようになり、バイクに乗りたいなんて微塵も考えたことはない。
そんな自分が、妻の50歳の誕生日をきっかけに180度回転する。
「人生半ば、残された時間は少ない」と思うと、やりたいことが次から次へと出てきた。
そんななかの一つが大型自動二輪免許の取得。
バイクは危険な乗り物という意識はあるけど、やっぱり深層心理ではバイクに乗ってみたい。でも、50歳に近くなると、簡単には免許は取れないだろう。
挑戦するなら今しかない。
そんな思いが湧きあがってきて、いてもたってもいられなくなくなる。
それなりに社会性や遵法意識を備えたまっとうな大人だと自分では思っているけど、「思い立ったが吉日」の直情型な性格は高校生の時と変わらない。
決断、入校、挑戦開始
悩みに悩んだ末、「バイクに乗るかどうかはともかく、免許をとるのは今でしょ」と決断。
7月1日の土曜日に教習所に行き、その場で入校を決めてしまった。
もちろん、例のごとく妻には内緒である。(入校手続き後に告白。免許をとることは許してもらった。)
こうして、48歳オジサンがいきなり大型自動二輪免許の取得に挑戦することとなった。
熱い夏がはじまる。
次回、教習所選びと入校手続きへ続く…
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